物語戦後文学史・下/本多秋五 ― 2012年01月27日 09時39分13秒
ようやく読了
ようやく全体像が見えた
本多さんの趣旨は、いつどこでなんで、戦争のイメージが日本文学から消えたのかということである
戦前・戦後の共産党主導のプロレタリア文学も
戦後のアメリカ崇拝的な文学も
本多さんに言わせれば、あの異常なる戦時下という空間のなせる業で
それがある時、しゅっと煙のように消え去ったと
経済白書が、もはや戦後ではないと歌ったのが56年
その頃の実感の証言といえよう
彼がその時代にこだわったのは
その時代の文学が、あの人間性を極限まで暴き出すような体験の結果
組織論、政治論、人間論、そして、天皇論
どの論議において非常に真摯なものであり
その真摯さが消えうせることに対する違和感を感じたからだと思われる
俯瞰で言えば、風化に対する異議申し立てであろうか
戦後から高度成長の時代への転換
それでは、この論議から、今、俺が学べるものが何かと言えば
第二の敗戦から何を学ぶかということだろうか
余り定義をされていないが
第二の敗戦とは、物質万能主義の終焉だと俺は思っている
高度成長の共同幻想の終わり
おそらく、それは、30年ほど前に起きているのだが
俺たちは、そのことを自覚せずに
中途半端な、物質主義の時代を生きている
消費に満足できない時代が続いている
あるいは、大脳をしびれさせるような商品のない、マーケットだけが貪欲だ時代
これから
反資本主義のライフスタイルが始まるのか
それとも、価格やサイズではない、より高度な資本主義の時代に入るのか
どちらにせよ、経済的にも、人間実存的にも
このままでは、にっちもさっちもいかないことだけは、自明であるようだ
俺は政治学科の卒業で
82年の卒論でも同じようなことを書いた
そして、それから30年、ほぼ同じようなことばかりいっている気がする
正治評論に拘泥せずに、も少し、文学まで手を広げれば
俺の思想もも少しクリアになったような気がするが
もはや、手遅れ
きっとくたばるまで同じ歌を歌わざるを得ないのだろう
